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奈良県高松塚古墳は誰の墓?見所や伝説!今なお不明な謎とは!

奈良県高松塚古墳は誰の墓?見所や伝説!今なお不明な謎とは!
高松塚とは
高松塚古墳は、奈良県高市郡明日香村(あすかむら)にある古墳です。
国営飛鳥歴史公園(ひじりしこうえん)内に位置し、周辺には古代の遺跡が数多く残っています。
高松塚古墳は、直径23メートル、高さ5メートルの小さな円墳で、7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳と呼ばれる時代のものです。
1972年に発掘調査が行われた際に、石室内に極彩色の壁画が発見され、一躍注目を集めました。
壁画は、人物像、日月、四方四神、星辰などが描かれており、国宝に指定されています。
特に、西壁に描かれた色鮮やかな女子群像は、「飛鳥美人」として有名です。
高松塚古墳は、日本の古代文化や美術の貴重な遺産として、多くの人々に親しまれています。

誰の墓?由縁のある伝説
高松塚古墳の被葬者(ひそうしゃ)については、現在も特定されていません。
様々な説がありますが、代表的なものは以下の通りです。

天武天皇(てんむてんのう)の皇子説(おうじせつ)
天武天皇の皇子である忍壁皇子(おしべのおうじ)、高市皇子(たかちのおうじ)、弓削皇子(ゆげのおうじ)のいずれかとする説です。
出土した人骨の推定年齢や副葬品、壁画の服装などが根拠とされています。
臣下説(しんかせつ)
天武天皇の側近であった石上麻呂(いそのかみのまろ)とする説です。
この説では、高松塚古墳は奈良時代(ならじだい)の年代となります。
朝鮮半島系王族説(ちょうせんはんとうけいおうぞくせつ)
百済(くだら)王禅光(ぜんこう)や高句麗(こうくり)の王族とする説です。
壁画の様式や出土品の由来などが根拠とされています。
高松塚古墳には、これらの説に関連する伝説や逸話も残っています。
例えば、忍壁皇子説に基づく伝説では、忍壁皇子は天武天皇の後継者として期待されていましたが、持統天皇(じとうてんのう)の陰謀により毒殺されたとされています。
その後、持統天皇は忍壁皇子の霊を鎮めるために、高松塚古墳を建てたという話があります。
また、高句麗の王族説に基づく伝説では、高句麗の王族は唐(とう)の侵攻を逃れて日本に亡命し、高松塚古墳に埋葬されたとされています。
その際に、高句麗の天文学の知識をもとに、壁画に星座を描いたという話があります。

今なお残る謎とは?
高松塚古墳は、発見から50年近く経った今でも、多くの謎を秘めています。
その中でも、特に注目されているのは以下の3つです。

壁画の保存方法
高松塚古墳の壁画は、雨水の浸入やカビの発生などにより、劣化が進んでいます。
文化庁は、壁画の恒久保存のために、石室を一度解体して修理施設に移し、修復を行いました。
修復が完了した壁画は、今後は古墳外に新設される施設で管理される予定です。
しかし、壁画を現地に戻すかどうかは、まだ決まっていません。
壁画の保存と公開のバランスをどうとるかは、今後の課題となっています。
壁画の意味
高松塚古墳の壁画は、人物像や日月、四方四神、星辰などが描かれていますが、その意味や目的は不明です。
壁画は、被葬者の身分や出自、信仰などを表していると考えられますが、具体的な解釈は様々です。
壁画に描かれた人物像は、被葬者やその家族、供奉者などの実在の人物なのか、それとも神話や伝説の人物なのか。
壁画に描かれた日月や四方四神は、古代の宇宙観や道教の影響を反映しているのか、それとも独自の意味を持っているのか。
壁画に描かれた星辰は、古代の天文学の知識を示しているのか、それとも占星術や暦法と関係があるのか。
これらの疑問に答えるためには、さらなる研究が必要です。
壁画の制作技法
高松塚古墳の壁画は、日本の古墳壁画の中でも最も高度な技法で制作されています。
壁画は、石室の壁に漆喰(しっくい)を塗り、その上に絵具を塗って描かれています。
絵具は、赤、青、緑、黄、白、黒の6色で、鉱物や植物などの天然素材から作られています。
壁画の線は、細い竹の筒に絵具を入れて吹き付けるという技法で描かれています。
この技法は、日本では高松塚古墳で初めて確認されたもので、中国や朝鮮半島の影響を受けたと考えられています。
壁画の制作には、高度な技術と芸術性が必要でした。
壁画を描いた人物は、誰なのか、どのような経緯で古墳に関わったのか、興味深い問いです。

まとめ
高松塚古墳は、奈良県にある小さな円墳ですが、壁画の発見により、日本の古代文化や美術の貴重な遺産として知られるようになりました。
壁画は、極彩色の人物像や日月、四方四神、星辰などが描かれており、国宝に指定されています。
壁画の意味や目的、被葬者の身分や出自、壁画の保存方法や制作技法など、多くの謎を秘めています。
高松塚古墳は、今なお不明な謎とは!というタイトルにふさわしい、魅力的な古墳です。