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奈良県飛鳥石舞台古墳は誰の墓?見所や伝説!今なお不明な謎とは!

奈良県の飛鳥地域にある石舞台古墳は、日本最古の石造建築物と言われる歴史的な名所です。
この古墳は、いったい誰の墓なのでしょうか?
また、どのような構造や特徴を持っているのでしょうか?
石舞台古墳にまつわる見所や伝説、そして今なお不明な謎について、詳しく紹介していきます。

石舞台古墳とは

石舞台古墳は、奈良県高市郡明日香村にある前方後円墳です。
全長は約70メートル、後円部の直径は約50メートル、高さは約10メートルあります。
古墳の上には、石室と呼ばれる石でできた部屋があります。
石室の内部は、長さ約8メートル、幅約3メートル、高さ約4.5メートルで、切石と呼ばれる整形された石で構成されています。
石室の入口には、石門と呼ばれる石でできた扉があります。
石門は、高さ約3.5メートル、幅約2メートル、厚さ約0.5メートルで、重さは約9トンもあります。
石室や石門は、石組み技術と呼ばれる技法で作られており、石同士をくさびで固定しています。
この技法は、日本ではこの古墳で初めて用いられたと考えられています。

名勝の位置づけは?

石舞台古墳は、国の特別史跡に指定されています。
また、世界文化遺産に登録されている古代の日本の首都群の一部を構成しています。
石舞台古墳は、日本の古代史や文化において、非常に重要な価値を持つ史跡と言えます。

いつ作られた?

石舞台古墳は、7世紀前半に作られたと推定されています。
この時期は、日本の歴史では飛鳥時代と呼ばれる時代で、大陸との交流が盛んになり、仏教や文化が伝来した時代です。
石舞台古墳は、この時代の日本の政治や宗教の中心地であった飛鳥地域に建造されました。
石舞台古墳の石組み技術は、大陸からの影響を受けたものと考えられています。

誰の墓?由縁のある伝説

石舞台古墳は、誰の墓なのか、今なお不明なままです。
しかし、古くから様々な伝説があります。
ここでは、その中から代表的なものを紹介します。

蘇我馬子の墓説

石舞台古墳が作られた時期に、飛鳥地域で最も権力を持っていたのは、蘇我氏という豪族でした。
蘇我氏の中でも、最も有名な人物が蘇我馬子です。
蘇我馬子は、推古天皇の摂政として、仏教の公認や大化の改新など、日本の歴史に大きな影響を与えました。
蘇我馬子は、622年に亡くなりました。
石舞台古墳が作られた時期と蘇我馬子の死亡時期が近いことから、石舞台古墳は蘇我馬子の墓であるという説があります。
この説は、古くから伝わる日本書紀万葉集などの文献にも根拠が見られます。
しかし、石舞台古墳からは、蘇我馬子の墓であることを示す明確な証拠は発見されていません。

聖徳太子の墓説

石舞台古墳にまつわるもう一つの有名な説が、聖徳太子の墓であるという説です。
聖徳太子は、日本の歴史上、最も偉大な人物の一人とされています。
聖徳太子は、推古天皇の皇子として、仏教の広めや十七条の憲法の制定など、日本の政治や文化に多大な貢献をしました。
聖徳太子は、622年に亡くなりました。
石舞台古墳が作られた時期と聖徳太子の死亡時期が近いことから、石舞台古墳は聖徳太子の墓であるという説があります。
この説は、古くから伝わる日本書紀法隆寺縁起などの文献にも根拠が見られます。
しかし、石舞台古墳からは、聖徳太子の墓であることを示す明確な証拠は発見されていません。

今なお残る謎とは?

石舞台古墳は、誰の墓なのか、今なお不明なままです。
しかし、それだけではありません。
石舞台古墳には、他にも多くのがあります。
例えば、次のようなものがあります。

  • 石舞台古墳の石室は、なぜ石でできているのか?
    一般的に、古墳の石室は、土でできた円筒形の竪穴式石室が多いです。
    しかし、石舞台古墳の石室は、石でできた四角形の横穴式石室です。
    このような石室は、日本では他に例がありません。
    石舞台古墳の石室は、なぜ石でできているのか、その理由は不明です。
  • 石舞台古墳の石門は、どのように開け閉めされていたのか?
    石舞台古墳の石門は、重さ約9トンの巨大な石でできています。
    この石門は、どのように開け閉めされていたのでしょうか?
    石門の両側には、車輪状の溝があります。
    この溝には、木製の車輪がはめ込まれていたと考えられています。
    車輪を回すことで、石門を開け閉めできたのではないかと推測されています。
    しかし、実際にどのような仕組みで動かしていたのか、その詳細は不明です。
  • 石舞台古墳の石室には、何が埋められていたのか?
    石舞台古墳の石室には、誰が埋められていたのか、また、どのような副葬品があったのか、気になるところです。
    しかし、石舞台古墳の石室は、未発掘のままです。
    石室を発掘すると、石組み技術や石門の仕組みなど、貴重な情報が得られる可能性があります。
    しかし、石室を発掘すると、石組み技術や石門の仕組みなど、貴重な文化財が失われる危険性もあります。
    石舞台古墳の石室には、何が埋められていたのか、その答えは、今後の研究に期待されます。

まとめ

石舞台古墳は、日本最古の石造建築物と言われる歴史的な名所です。
この古墳は、誰の墓なのか、どのような構造や特徴を持っているのか、石舞台古墳にまつわる見所や伝説、そして今なお不明な謎について、紹介しました。
石舞台古墳は、日本の古代史や文化において、非常に重要な価値を持つ史跡です。
奈良県に行く機会があれば、ぜひ石舞台古墳を訪れて、その雄大さや神秘さを感じてみてください。